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第六章 PTSDに対する個人的見解について

●第六章 PTSDに対する個人的見解について

 

 私はPTSDの当事者では有るが、専門家ではない。しかし専門的に学んだので、ある程度の専門知識はある。
私の経験からするとPTSDと言う疾患には、画一的な治療法は無いと思う。
実際に日本では認知されてはいるが、個々人合わせたケアが必要であり、絶対的な治療法はないと思う。
近年インターネットではまことしやかに、必ず治ると書かれたカウンセリングのホームページを目にするが、どうも眉唾物だ。サリン事件や阪神淡路大震災や交通事故に遭遇した人の中でもなった人もいればならなかった人もいる。
どういう人がなってどういう人がならないのかすら解っていない。なのに簡単に治るというのはどういう了見か。
普段災害や事件事故に慣れている警察官や消防隊員でもPTSDになる。
アメリカのテロ事件では、PTSDになる人が出た。
 私が思うには性格には一切関係なく、その場の状況つまり、どれだけの衝撃を受けたかということ、犯罪や事故なら加害者との関係、災害なら特にどれだけの衝撃を受けたか(家族との死別他)に関わってくると思う。
医学的側面だけではなく哲学的、思想上の問題としてのアプローチが今後絶対に必要になるのではないか。

従ってその人に適したカスタマイズされた治療が必要だと思う。
実際もう私はフラッシュバックはないし、その意味で心理療法は不必要だと当時の主治医は判断した。
でも、中には集団精神療法、巻き返し法等の心理療法が必要な方もいらっしゃるでしょう。
従って、画一的な治療法は無いと思う。
また、幼児虐待体験や犯罪の場合は長期に亘ることが多い。
ことレイプになると外傷を受けた同じ時期に再燃するということがあり早期の治療が必要だ。
事故や災害の場合は、軽症で済み再燃の可能性もほとんどないとの報告があります。
私の場合には5人の精神科医に同じ状況にならない限り、大丈夫ですと言われているが、油断はできない。

無理はしない。車は平気で運転している。つまりある程度トラウマは乗り越えたと言う事にはなる。

 私は軽症うつ病の様な状態になったが、軽症うつ病は、几帳面、完全主義、強い義務感、業績重視の人生観、他人との円満な関係の維持非攻撃性、物静かといった性格の方が(親和性)なりやすいようである。
また心身医学の医師が、よく使うエゴグラムという自己記入式の性格行動チェックリストによればV型やW型を示す方が同じく親和性が高いようだ。
では私の場合は、どうかというと「嫌なことがあっても、気にしないし、寝れば忘れる。勧善懲悪。常識や道義に反することがあれば、相手が誰であろうが構わず叱責する。善には善を返し、悪には善を以って対峙する。苦境に遭っても、決して諦めず必ず前向きに考える。人の心を翻弄するような嘘は大嫌い。また決して言わない。よくしゃべる。物事に余り拘泥しない。」

エゴグラムにつきましては、岩井&石川式エゴグラムテストをやってみると
CP=20,NP=18,A=18,FC=12,AC=6となった。
これは、エゴグラムの発案者であるジョン・M・デュセイが看護婦長タイプと名づけたエゴグラムである。

事故前と今もあまり変化はない。この点に於いても私はうつ病などの疾患にかかる性格ではないことが分かる。

またYG性格検査でも、D型典型となり安定積極型の分類に内包された。

ヒポコンドリー性基調というのがある。これは物事に拘泥しやすく、自分の心身に病的なものがあるのではないかと思う気分をさす。心気症というのがそれである。しかし、多くの症状が出ても決して病気だとは考えなかった。医師から病気ではないですよと言われた際、安心したのはこの感覚が確信し変わったからだと思う。神経症は、物事に拘泥する傾向が強く、またかたよった自己防衛、不安の注意と病感の悪循環、気分本位と自己暗示、完全欲、当然の事を異常に感じるというとらわれがある。私には、こうした傾向が殆ど無い。

症状があっても器質的な問題ではないから、死ぬわけではない。焦っても仕方が無い。立ち向かってやる。闘ってやる。乗り切ってやる。この問題から逃避しても何れ対峙しなくては成らない。ならば早いほうが良い。だらだらと長引かせるより早期に解決し、より良い人生を送ろうではないか。と常に思っていた。

また気分が悪くても、殆ど会社を休まず平常通りに仕事をこなした。無論無理はしなかったが、できる事はこなしていたのだ。無論苦しい。苦しくて苦しくてたまらなない。しかし、こうした諦めない態度、前向きな行動、現実に対峙する態度が早期の治癒をもたらしたのであると確信する。
しかし何が、自分を支えていたのかは今もってわからない。
交通事故で亡くなった爺様か?。単に生に対する生物遺伝学的生存執着心か?。

それとも他に何か重要な意味があるのか。

こう書きますと、”森田療法”を想像し、あなたは、PTSDではなく離人神経症でしょう。とお思いになる専門家の方もいらっしゃるでしょうが上記の私の性格を再度お読みください。
また私は児童虐待の経験はない。所謂ACでは無い。確かに神経症の方がお感じになる事のある、現実感の消失はいまでもある。しかし拘りは全くない。やるべきことは遣っている。いいや事故に遭遇する前よりも精力的に活動しているかもしれない。よってYG性格検査、エゴグラム検査、非森田気質でること、児童虐待の経験が無いことからPTSDとしか説明できない。

 では、これでも納得できない読者のために阪神淡路大震災を例に取って性格に関係の無いことを考えてみたい。
突如として危機的な状況が発生し、取るものもとりあえず外へ飛び出した。
そこには猛火に包まれた家々そして周章狼狽する人々が数多。叫び声やうめき声。崩壊していく建物の数々。
そこでふと、我に返ります。自分は何とか崩壊寸前の自宅から逃げ出した。

しかしよくみると自分の家も猛火に包まれた。
中には愛する家族がいる。中に入って家族を助けたい。
しかし中に入れば自分も猛火に包まれてしまい助けるどころか焼け死んでしまう。
そんな心の葛藤の状況下で猛火に包まれた家は一層炎を増し家族を包み込んでいく。
中からは家族の叫び声「熱いよー!助けてー!苦しいよー」と言う声が聞こえる。
その声もそのうち聞こえなくなっていく。
こうした状況を目の当たりにして果たして人は尋常でいられるか。答えは否です。
もし、こうした状況でも冷静沈着でいられたとしたら、その人は人間ではない。
目の前で愛する家族が焼け死んでいくのだ。普通でいられないに決まっている。
地下鉄サリン事件でも事故でも同様だ。

 心の準備ができている場合には人間は、今までの経験から推察しどのように対処すればよいか考え行動し対応できるであろう。しかしながらこうした非常に偶発的、突発的な場合には当然心の準備ができている訳もなく、心が翻弄されてしまうのは当然ではないか。

実際アメリカのテロ事件で、世界貿易センタービルから逃げてきた人たちは異口同音に言う。
そこで私は病気ではないと言っているのだ。人知を越えた状況下に長く晒された場合、何らかの精神的な異常がでるのは至極当然のことではないか。これを病気と言ってよいのか。

またPTSDは、数ヶ月後(2~3ヶ月後)に症状が出る。
その場では、恐怖感が出ない場合でも恐怖は後からやってくる。本当の恐怖とはそういうものだ。
人間は本当の恐怖に晒されたときには、声も出ない。私も事実そうだった。
事故に遭遇した時、一瞬何が何だか訳が分からない。しかし、眼鏡が割れその破片で眉毛の下を切り血が滴り落ちてきた。その血を見て我に帰ったのだ。
PTSDは英語ではPost Traumatic Stress Disorderと言う。Disorderは障害という意味である。
しかし、上記のように当然の反応として出るわけだから、むしろレスポンスあるいはコンディションとすべきであって、PTSRかPTSCとすべきではないではないか。

近年厚生労働省 精神・神経疾患研究委託費外傷後ストレス関連障害の病態と治療ガイドラインに関する研究班がまとめた良書がある。
心的トラウマの理解とケア/株式会社じほう 
この書籍には非常にわかり易く、かつ適切に書かれている。
 

 

§再結合

 今は自分の心に崇高な何かを感じる。その感覚が確信に変わった。
それは、自分で望んでした体験ではないがこの体験を生かしていきたいと考えるようになった感覚である。
精神医学や心理学関連の書籍も既にゆうに100冊は読破した。
微力ながら私の経験を生かしたい。「辛かった、苦しかった」というような感覚だけで終わらせたくない。
「あなたに与えた試練は、さぞかし苦しかったでしょう。しかし良く我慢しました。これを踏み台として人生を歩みなさい。人生のうちで今後も苦しいことが出てくるでしょう。しかし、これだけの苦しみに絶えることが出来たのですから今後の苦しみは難なく乗り越えられるに違いありません。いつも前を見て生きていきなさい。そうして、苦しみ悩んでいる人のお手伝いをしなさい。そうすればあなたはなお一層大きな人間になれます。いや絶対になることができるのです。それがあなたの使命です。」
この感覚は、幻聴などではなく心の底から、自然にそう思えるものである。
何と言いましょうか”魂の響き”といえば大袈裟か。
しかしながら、心的外傷から回復した人の多くはこうした感情を持つものであると専門家の意見を頂戴した事がある。決して私だけではないのです。思い込みや幻覚幻聴などでは絶対にない。
今は大学に入学して心理学を学びたいと考えるようになりました。
きちんと学位を修め、確実な知識を身に付けることが重要だと思うのです。
学士入学後無事卒業することができた。大学院でも学び専門分野を履修した。公的カウンセラー資格も取得した。

 

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