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第十三章 友人と会社の上司に対して

 

●第十三章 友人と会社の上司に対して
  

 §友人に対して 

 実のところ、精神神経科に通院することを決意させたのは友人の薦めもあってのことでだった。
そもそも、事故に遭遇して52項目にも及ぶ症状が出て苦しんでいたときに精神科に行くよう薦めてくれたのも友人。
もしこの友人が精神神経科に行くように薦めてくれなかったら、最悪の事態になっていたことが予想される。
友人は大切である。

 この友人は、別章で述べたキーパーソンである。
彼は、事故当日私と事故車に同乗していた友人である。
彼は、助手席に乗っていたが難を逃れた。今のところはである。彼がトラウマの恐怖にとらわれない事を願う。
 近年、私は車を買い換えたが、彼曰く、見せに来いと言うので遠路はるばる行った。
その際、終生忘るる事の出来ない邂逅があった。この邂逅が別の友人や人的ネットワークや新しい道をもたらした。
 矢張り彼は、キーパーソンである。彼に会いに行かなかったら、今の私は無い。
また再び学問をしようとは決して思わなかっただろう。
新しい自分を見出さなかっただろう。
愛する力、自分を信じる力、生きる力を見出さなかっただろう。
人生を意味のある方向へ導く人との邂逅は無かっただろう。


 以前通院していた病院は、月曜日から金曜日までしか診察してくれなかった。
仕事に差し支えないように会社を休まないようしようと考えると転院せざる負えない。
友人に相談したところ彼の頭の片隅に、現在の病院の情報があった。
「評判いいし、土曜日も診察してくれると思うから良いと思う。」と言う返事。
一応確認の為に電話をすると土曜日も診察していただけるとの、物凄く丁寧な応対であった。
躊躇はしなかった。すぐさま紹介状を持って転院した。
  

 

 §会社の上司に対して

 以前の上司こう言われたことがある。
「貴方の症状がどのようなものであるか、上司として知りたいし、貴方に対して今後どのような対応をすればよいか、貴方の主治医に会って話をした方が良いと思うのだが、どうだろう。」と。
こんなにうれしいことはなかった。家族にさえこんなことを言われたことは無かったし、どんなに症状が酷くても家族に付き添ってもらって病院に行ったことは無かった。
ここまで考えて下さっていたとは。随喜の涙がとめどもなくでた。感激した。
全く理解しない人もいればこれほどまでに考えて下さる方がいる。
それだけで、十分だった。この上司には、今でも頭が上がらない。

 他の上司もまた同様である。PTSDと告げたが特に気にするでもなく、無理解は無い。
通院する必要性を言うと、その日は完全に休みとしてくれている。
仕事面においても、非常に理解を示してくれる。
TBSのTV出演依頼があり、休日変更の許可を得るため、話をしたら快諾された。
わが社の社風も在るのかもしれないが、実にあっけらかんとしたものである。

 こうした多くの方々に、お会いできた事、支えられた事が私にとって救いとなっている。
人間関係や出会いはとても大切であることを身にしみて感じた。

人間関係が上手く行かないという方は、自己分析をし自己防衛をといてみてはどうであろうか。

他者は自分を写す鏡である。
何もかも他者が悪いわけではない。自分にも良くない点があるかもしれないのである。
アサーショントレーニング/平木典子/日本精神技術研究所 を読むことを勧める。

私は大学に編入し心理学を学び、大学院でも学んだが、それはこうした良い人間関係を継続していくため、お困りの方にご援助をさせて頂くためご援助して頂いた方への御恩返し、人生を豊かにしていくためである。

人生を豊かにしていくか否かは、矢張り自分によるところが大きい。

私は、内発的動機により再度大学で学ぶことにした。
生きる力、困難に打ち勝つ力を身につけるには努力だけではなく知識も必要と考えるからである。

人生の中には、様々な困難、艱難辛苦が存在する。それはそれは奈落の底に突き落とされた感にとらわれることも有るでしょう。
私は特定の宗教を信奉していないが、これら艱難辛苦は”神が与えた試練”あるいは”ゲーム”かもしれないと感じる。
これらを乗り越えることで人一倍大きな人間に為ることが出来ます。

そしてきっと人の痛みの分かる人格者に成れます。
何も問題のない人生を送る人は傲慢や自己中心的に成ってしまうのではなかろうか。

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