top of page

第九章 精神科、神経科のイメージについてと医療に対しての個人的見解

●第九章 精神科、神経科のイメージについてと医療に対しての個人的見解

 

 精神科と聞くと何だか恐いというイメージが多くの方に在るのではなかろうか。
全くそんなことはない。
以前各種メディア等で報道されたことの有る患者虐待や必要のない検査を繰り返す病院のイメージや鉄格子の付いた病棟をイメージするから、そのようなマイナス的なイメージを払拭できないのではないか。また通院する機会も少なく、クリニックや病院の数も少ないのも否めない。行ったことが無ければ、何をするところなのか、どうなっているのかも分からず不安になるのも無理はない。病院によっては閉鎖病棟も有るため特殊な感じを持つのは当然である。

しかしこの点は内科病棟にCCUやICUなどの集中治療室が有るのと同じではないでしょうか。どうおもいますか。
 実際、雰囲気は内科と大して変わりは無いのです。
いいえ。実際には内科よりも雰囲気は良いのです。心の病を治療する所のため、落ち着いて話の出来る環境でなくては成りません。従って医師によっては白衣を着用せず、より話しやすい雰囲気を作り出そうとしている人もいる。

また問診は内科よりも遥かに的確にかつ入念に行う。初めて通院する場合は酷く敷居が高いと思われる。
 大学病院の診察科でなくても内科併設のクリニックもあるので抵抗のある方はこちらに行って見るのも一考と考える。

 ところで精神科という標榜はもういい加減に止めた方がよいと考える。
精神科に通院しようと考えている人たちは、精神的に何らかのダメージを受けているのである。そこに”精神”の文字。「何か空恐ろしい事をされるのではないか」というような恐怖感を煽ってしまう事は必定である。医学会でもある疾病名に付き改めてはどうかという議論がある。現代では心の問題が取りざたされている。心に問題を抱える多くの方が気軽に診察を受けることが出来るよう、診療科の名称も変えてもらいたいものである。心身科、心神科、心身臨床心理科、心理科、というのはいかがなものか。関係各位真剣に議論してもらいたい。

 また、医師というのは高飛車な人が多く「治してやる」という感じの医師が私には多いように感じていた。

しかし、実際はそんな人ばかりではないことがわかった。しかしながら、医師によっては酷い人もいないわけではない。
始めの病院の当時の2診の医師には、「助けてあげたいけど、自分で何とかするものです。抜け道を自分で探しなさい。さもないと堂々巡りです。」と適切でない診察を受けたし、患者である私が目前で、激痛に襲われているにももかかわらずレントゲンを撮る事を拒もうとした医師もいたわけであるし、矢張り人間相手ですから相性もがある。

 どのような診療科でも言えることだが、インフォームドコンセントを確実に行い、医師法第23条(保健指導を行う義務)を確実に行ってくれる医師でなくてはならない。こういう医師を探すのは非常に困難である。
全く笑い話であるが、ある歯科医のインタビューを見ていた時、インタビューアーにこんなことを言っていた。
インタビュアーの質問「虫歯になったとき、治療は自分でやるのですか。」
医師の回答「自分で出来るところは自分でやります。出来ない所は、兄弟が歯科医なので兄弟で治療しあいます。知らない医者に治療してもらうなどと、そんな怖いことは出来ません。」
まさに開いた口がふさがらないとはこの事を言うのではなかろうか?。

 また医療を受けるのは患者である自分自身である。したがって患者の権利(日本では1992年患者の権利法を作る会による・患者の権利法要綱案等がある。)により自分に合った方法を見つけ主治医に言うことも大切である。
情報を共有し医師と共に治療を進めるのだ。
「治してもらう」という受動的な態度は絶対によくない。
自分のことです。家族もあります。積極的に考え、家族のためにも能動的に行動することが絶対に必要ではないか。
非常に不安定な精神状態にある時に「前向きに考えろ!」と言われても確かに無理がある。
しかし「必ず治る、絶対回復する!」と毎日自分に言い聞かせ行動しなさい。
前向きな考え方や行動が治癒を早めることは医学的に実証済みである。しかし焦りは良くない。緩慢だが回復していく。

私の場合、「症状があっても器質的な問題ではないから、死ぬわけではない。焦っても仕方が無い。立ち向かってやる。闘ってやる。乗り切ってやる。この問題から逃避しても何れ対峙しなくては成らない。ならば早いほうが良い。だらだらと長引かせるより早期に解決しより良い人生を送ろうではないか。」と常に考えていた。
また気分が悪くても、殆ど会社を休まず平常通りに仕事をこなし日常生活を行った。。無論無理はしなかったが、できる事はこなしたのである。無論苦しいです。苦しくて苦しくてたまらなかった。
おまけに二次的心的外傷を何度も受けた。他者の心無い言動、例えばわざわざ私の前で交通事故の昔話をする有象無象もいた。聞きたくないにきまっている。いじめでもって言っているのではないことは分かる。励まそうとしているのであろう。しかし聞きたくないものは聞きたくない。会社の元同僚が、仕事中に交通事故に遭遇し重症を負ったという話も聞かされたこともある。側面衝突をされ、内臓が露出したということを聞かされた。余計なことを言う奴だ。

 また決定的にショックだったのは、父親が交通事故の加害者になったことだった。もう気が狂うかと思うほどショックを受けた。被害者は大した外傷もなく、無事治癒した。
この時、損害保険会社との折衝は父親が行わず私が行った。この日を境に父の愛車は、自転車になった。その後、この私の愛車であった事故車は修理したが、車検を契機に買い換えた。

いろいろあったが、果敢に困難に挑む態度、諦めない態度、前向きな行動、現実に対峙する態度が早期の回復をもたらしたのであると確信する。但し回復には一進一退が有ることを認識しなくては為らない。この点は他の診療科でも同じことが言える。

 また医師と患者は対等な立場にある。先生様ではない。ふんぞり返っているような医師なら止めてしまえ。

治るものも治らない。前向きな考え方を持ち患者の気持ちに立って考えてくれる医師を探すべきだ。

繰り返し言うが、医師と患者は対等な立場にある。
私は良い医師に出会ったことが幸いした。

医者が患者にすべき事には、3つある。

 1.痛みを止めてあげる事。

 2.痛いところを摩ってあげる事。

 3.誉めてあげる事。

意味は、状態によって異なるので皆様方でお考えいただきたい。しかし以上の3つは医者が患者に絶対にすべき事だと私は思っている。
ただ薬を渡して、じゃあお大事に。ではペケ。医療は医術である前に、人術だ。
医師の言葉で一つで薬が無くても治ってしまう事すらある。また医師は医師である前に人間だ。
人として正しい道を歩んで頂きたい。医師になろうと決意した時の気持ち。
つまり困っている人を助けたい。元気になってほしい。その初心を思い出し、患者さんと接して貰いたい。

無論患者側にも、したほうが良い事があると愚考する。

症状を言うにあたっても的を得ないような言い方をしてはいけない。
また自分の疾病についてもある程度調べ、自分はどうすべきかを考える必要があると思う。
例えば、頭痛がすると仮定する。

 1.頭のどこが痛いのか。前の方か後ろの方か全体かなど。

 2.どのように痛いのか。キリキリ痛む、締め付けられるように痛むなど。

 3.いつから痛むのか。1週間前など。

 4.いつ頃痛いか。一日中、起床時、午前、午後。

 5.その他付随する症状。食欲不振、吐き気など。

 6.既往症、病歴等

こうした事を診察時に言い忘れる可能性があるのであれば、事前にメモを作成し箇条書きにでもしておけば良い。
そうすれば医師、自分自身双方とも無駄な時間を費やす事無く診察がスムーズに進む。
自分自身の事ですし家族もいらゃるわけですから、早期の治療が必要だ。

前向き行動することは、自己治癒力を高めます。決して悪い事ではない。
また医師の側においても、症状を適確に言ってくれるわけですから診察しやすいと考える。
こうした患者を医師は、治療に対して熱心な態度を持っていると考えます。決して悪くは考えない。実際に同様な意見を持つ医師のサイトを見たことがある。

まあこんな人も居るにはいますが、例外中の例外である。(○×△外科の出来事を参照)

殊大学病院や総合病院では、非常に多くの患者さんが来院する。一人の患者に対し時間を長く割く事は、なかなか出来ない。
3分間診療などとよく喧伝されますが、多くの患者が外来診察に来る。しかし診察時間には限界がある。
とすると一人当たりの時間を短くするより他に方法はないのです。
従って診てもらう方としてもより良い診療、適切な診療を受けるために何らかの策を講じる事が必要。

患者の皆さん、医師の皆さんどうお考えになりますか。

bottom of page