top of page

第八章 PTSDのEMDR療法について

●第八章 PTSDのEMDR療法について

EMDR(Eye Movement Desensitization and Reprocessing;眼球運動による脱感作および再処理)

 

 これは、1987年にその頃は無名の心理学の学生であったシャピロー/Shapiro.F(1989)に半ば偶然に発見された方法でこの方法に従えば「患者が最も衝撃的な場面をイメージしている間に、治療者が患者の眼の前で指を左右にリズミカルに動かしそれを患者の眼で追跡させる。

20往復が終わったら眼を閉じ深呼吸をする」。これを繰り返して不安が「なんともない」と思えるまで続ける、というものです。幾つかの報告によれば、この方法論による劇的な症状の改善が見られたとされているが、まだこれから慎重な検証が必要な段階といえそうであるという臨床家もいるが、筆者は肯定派である。
しかし個体差があり、複雑性PTSDすなわち児童虐待、摂食障害、解離性障害などは反応が大きく出てしまい症状が逆に不安定化する危険性がある。
日本では一部の行動療法家が始めたばかりであるが、日本では副作用もなく劇的な改善があったとの報告がある。
以下にその例を示す。

 

(毎日新聞2002年5月21日大阪朝刊)

瞳を左右に動かす治療法でPTSDほぼ完治‐‐兵庫の精神科医 本多正道

阪神大震災の被災でPTSD(心的外傷後ストレス障害)と診断された2女性に対し、兵庫県の精神科医が、瞳を左右に動かす「EMDR(眼球運動による脱感作と再処理)」という治療法を使ってほぼ完治させることに成功した。25、26日に神戸市で開く「日本精神神経科診療所協会総会・学術研究会」で報告する。

メカニズムは不明だが、有効な治療法として注目を集めそうだ。
患者はいずれも神戸市で被災した30代と40代の女性。震災の1月17日が近付くと眠れなくなったり、地震のニュースを見たり揺れを感じただけで恐怖感がよみがえり、口が渇くなどの症状が毎年続いていた。薬による治療も十分な効果がなく99年末、姫路市の本多正道医師(40)にEMDRを受けた。 その結果、治療開始後間もなく、青ざめた表情が和やかになった。治療前は震災が最大の恐怖だったが、治療後は震災の場面を思い出しても全く恐怖を感じないレベルまで下がった。2人は「あれほど怖かった地震が不思議なほど何とも思わなくなった」と話しており、その後は再発していない。
EMDRは80年代後半に米国の心理学者が提唱。引き金となった出来事を思い出させた後、医師や臨床心理士が左右に往復させる指の動きを患者が目で追う治療法。本多医師は98年から米国の心理学者に学び、これまで約200人を治療、7割以上の患者が改善したという。特に震災のように、一度の出来事が引き金となった患者に対して有効とされる。
臨床心理士によると、PTSDは7年を経過して突然発症するケースがあり、治療は心のケアの中でも大きな課題。阪神大震災による患者数は不明だが、心のケアが必要な児童・生徒は01年度で3142人にのぼっている。
本多医師は「いつまでも恐怖を感じるのは弱いからだと、自分を責める患者がいるが、こうした苦しみを克服する可能性のある治療法として普及させたい」と話している。
【柿沼秀行】

◇PTSDに詳しい武田雅俊・大阪大学大学院医学系研究科教授(精神医学)の話
臨床的な効果は確かにあり、興味を持っている研究者も増えている。ただ、メカニズムが分かっておらず、解明することが今後の課題となるだろう。

EMDRについて詳細に書かれた書籍である。熟読されたい。
最新心理療法 EMDR催眠イメージ法TFTの臨床例/マギーフィリップス/春秋社
こころの臨床改訂版第18巻第1号 1999年3月/市井雅哉・熊野宏昭/星和書店 EMDRこれは奇跡だろうか!

EMDRの実際を理解されたい方は下記に問い合わせることをすすめる。EMDR Network Japan

 

EMDRに対する個人的見解

  • EMDRとはEye Movement Desensitization and Reprocessingの略で眼球運動による脱感作および再処理であることはいうまでもない。私の知己には何人もの精神科医がいるが、疑問視する医師もいる。問題はその治療方法である。確かにEMDRは指を動かしクライエントに、その動きを追随させるという技法を用いる。この点だけを強調して見すぎているのではないかと思う。以前EMDRをテレビで紹介していたことがあった。この時も指を動かしクライエントに、その動きを追随させるというシーンを紹介していた。誰しもこのシーンだけを見たら治療法とは思えないし何かいかがわしいものなのではないかと思うのも無理からぬことである。しかしこのEMDRが何故心理療法として意味深いものと言えるのか独りの体験者としてここに稚拙な文章と浅はかな知識で説明してみようと思うのである。そこでまずEMDRが最新療法かどうかということについて解説してみることにする。最新心理療法 EMDR催眠イメージ法TFTの臨床例/マギーフィリップス/春秋社ほか最近の書籍には最新治療としての紹介がされているが体験者としては最新治療とは感じない。それには次のような理由がある。
     

    1. 催眠療法的側面の存在・・・催眠療法は催眠状態にさせ暗示効果を与え心身状態を変容、改善させようとするものであり、即効性はあるが長期変容は期待できない。また催眠状態になっているため発言回数が少なくなるがEMDRセッションでは、逆に思いのすべてを話したくなるのである。また精神分析法でも、ラポールが確実に形成されない限り話したくないことは話したくない。こんなことを話しては、おかしいのではないかと自分自身に問いかけたり、セラピストの顔色を伺ってみたりすることとなる。抵抗があるのである。この抵抗を取り払い自分自身と向き合い自分の心にふたをしてしまっているトラウマにアクセスして話をすることが出来るようになるには、セラピストとクライエントの間に絶大な信頼関係が形成されなくてはならないのである。しかしEMDRセッション中は、心に重くのしかかっているトラウマをすらすらと話すことが出来るのである。これは半催眠状態だからこそなせる業なのではないだろか。それに他の心理療法のようにセラピストと対峙して、顔を見て、アイコンタクトしてセッションをする必要は無いのである。よってセラピストの存在を気にせず自らが主体的に話をすることが出来る。EMDRはセッションの中でクライエントが目を閉じてトラウマとなる状況を自由連想するが、この時若干の半催眠状態となっていると私は感じた。よって思いのほか自分自身が心の中に鬱積していた事象を自分が思うと思わないとにかかわり無くセラピストの促す言葉により口をついて出てくるのである。クライエントがいったんイメージにアクセスし始めると自動的に連続して情景が言葉となり口をついて出てくるのである。話すという行為は自分が何を話さなくてはならないか、自分自身が頭で考えそして状況を判断し適切な表現、適切な言葉文章で会話することを言うとするとEMDRセッション中は話す、話し出すという感覚ではない。まさに堰を切って口を付いて出てくるという感覚なのである。催眠療法と似ているのは、このEMDRセッションの半催眠中にセラピストから、肯定的なメッセージを繰り返し繰り返し言われそれが、催眠療法の暗示と似たような効果をもたらす点にある。しかし大きく違うのは長期変容が出来る点である。その証拠は毎日新聞2002年5月21日大阪朝刊が証明している。

    2. 認知療法的側面の存在・・・EMDRのセッションを開始するに当たり、インテークの段階でクライエントに対しセラピストは安全であるというイメージを強く持たせる。これは非常に重要なことである。いうなれば心の逃げ場を作るのである。お父さん達ならば、飲み屋みたいな所である。家や仕事場では落ち着かなくとも、行きつけの飲み屋のママのところならば落ち着くであろう?。こういう感覚をイメージとして頭の中に思い浮かべさせるのである。事故の場合ならば、もう危難は去り自分自身は完全に安全な場所にいるという感覚を強く印象付けさせるためである。毎回のセッションの終了時にクライエントが安全であるという感覚を持たなくては帰途につくことが出来なくなってしまう。したがってこの安全という感覚をフレーミングすることが重要である。自分自身は危険であるという感覚がありこれにより、無意味な不安感や恐怖感が存在しているのである。ここでもう自分は安全であるという意識に無意識を変容させる。誤った意識を正常な意識に変容させ、ありたい自分を意識付ける。これはクライエントの無意識に原因と結果を見出す力動的精神療法である。セラピーの実際では最もトラウマとなっている事象を再想起し、現在の自分の否定的な面、たとえば事故に遭遇して”私は危険である”と考え、肯定的な部分では”私はもう安全である”と考え現在の安全である自分を認知させるのである。トラウマとなる事象に再遭遇した場合また同じ恐怖や不安感を再想起するのではないかという誤った認識を無くし、正しい認知へと認識を新たにさせるのである。これはインテークの段階でもおこなうし、EMDRセッションの最中にも行う。トラウマにとらわれたことにより認知的なゆがみが生じ機能的な思考が出来なくなってしまっている。この認知的なゆがみを取り去り行動の改善化を図ろうとするのは認知療法といえる。私の場合は自分から事故現場に足をわざと運ぶことをした。また自分自身が事故を起こしたわけではないので自分で運転することはなんら問題ない。しかし未だ癒されない情動があり不安感が払拭されないし未来が縮小した感じがある。これは事故のトラウマもあるが事故以外の何かしらのトラウマが事故を契機に全面に出てきたのではないかと再認識した次第である。

    3. 行動療法的側面の存在・・・トラウマとなる情景をセラピストはセッション中に想起することを要求する。そのときに感じた反応を心だけでなく身体症状として表せようとセラピストは試みる。私の場合ならば頚部頭部に緊張感や痛みを感じるようにさせるのである。アクティングアウト化である。あえて事故現場の状況を想起させ、自分自身がその場所にいても恐怖や不安感を感じないようにさせていくのである。これはまさに行動療法であるといえる。所謂除反応である。系統的脱感作を行っているのである。

    4. 来談者中心療法的側面の存在・・・この方法はクライエント自身が自身の問題に気づくようにセラピストが受容していくものである。また催眠療法で説明したが来談者中心療法でも、ラポールが確実に形成されない限り話したくないことは話したくない。こんなことを話しては、おかしいのではないかと自分自身に問いかけたり、セラピストの顔色を伺ってみたりすることとなる。抵抗があるのである。この抵抗を取り払い自分自身と向き合い自分の心にふたをしてしまっているトラウマにアクセスして話をすることが出来るようになるには、セラピストとクライエントの間に絶大な信頼関係が形成されなくてはならないのである。共感的理解という来談者中心の思考が根底にあるのだ。EMDRセッションも同じである。心に重くのしかかっているトラウマを共感的に聞いてくれる。否定されたりはしないのである。否定されることは恐怖を再度植えつけることになる。恐怖不安取り去ることを目的とするのであるから否定的な言動は厳禁である。EMDRセッション中にクライエントはトラウマについて話す。それをセラピストは、共感的理解で以って傾聴し支持し受容してくれるのである。そして、クライエント自身が自身の問題に気づくようにセラピストは促してくれるのである。ここは安全であるという意識の中で最高の支持をうけ受容されるということは最高の安心感が生まれる。そうなれば、当然セラピストとクライエントの間に絶大な信頼関係が形成される。安全であるから、安心できるからこそトラウマの話をすることができるのである。

    5. ゲシュタルト療法的側面の存在・・・多くの人々は自分自身のほんの一部分しかみていない。全体の自分に気づいていないので、自分の悪い所ばかりに目が行きよい点には目が行かないのである。ゲシュタルト療法は人格の統合性を最終目的とする。すなわち個々人の持つ断片的な人格をすべて認め、良いところも悪いところもつむぎ合わせ独りの人格として人間として統合するのを助けるのである。EMDRはターゲットとした外傷体験をスタートとするが、外傷体験は個人のもつ体験の一部である。楽しかった体験も個人の持つ体験の一部である。陰性体験も良性体験も体験には変わりは無い。この陰性体験に無意識的に呪縛され翻弄されているのがPTSDだと考える。陰性体験も、良性体験もその個人の人格を形成しているものである。これらの体験を一つの記憶として統合するという行為は、ゲシュタルト療法の人格の統合性と相似していると思う。人が人生を生きていく上においては様々な経験をする。そこには陰性体験も良性体験もともに存在するのである。しかしその中でも陰性体験があまりにも強烈過ぎれば当然この陰性体験に翻弄されることとなる。これは当然である。

    6. レム睡眠とノンレム睡眠・・・EMDRを半睡眠状態という表現をしてきた。それは本当に寝入っているわけではないからである。しかし寝入っている睡眠状態とすれば次のように表現できると思う。ノンレム睡眠状態はクライエントが目を閉じてトラウマを想起している時である。逆にレム睡眠状態はセラピストがクライエント目前で指を振って、クライエントがこの指に追随して動きを目で追っている状態である。夢を見るということは、どういうことであろうか。私が思うには、覚醒時に処理できなかった様々な問題を脳が自動的に処理してくれている状態。あるいは今までにあった様々な経験や記憶を追体験(フラッシュバック)させ、同様の体験をしたときに、その衝撃を緩和するように働きかける精神的緩衝材の役割を果たしていると考える。つまりインフルエンザ等の予防接種と考えればよい。EMDRはこの夢を見ている状態を人工的に作り出す。そうして、断片的に存在していたトラウマの原因となっていた不安や恐怖をレム睡眠中の夢を見ている状態の中に再設置し、一つの記憶の流れの中に戻していく。トラウマの原因の不安や恐怖が断片的に存在しているために、無意識的に気になりいつまでも抑うつ的であったり、フラッシュバックが起きたりPTSDの症状がでるのであろう。この記憶にとらわれてしまわないようにするためには、無意識の領域から一度出し、意識させレム睡眠中の夢を見ている状態の中で記憶の整理をするのである。PTSDが回復してくる過程において私は、記憶や判断の事柄がいっぱい詰まった大きな情報整理棚があって、その引き出しがばらばらに散らばっていたのが元の場所に整理整頓されていく感じであると表現した。(第四章 私の治癒経過について)まさにこの感覚なのである。換言すれば気持ちの整理をつけると、われわれは嫌だった苦しかった思い出であっても良い思い出に感じることがあるだろう。これと同じことである。

    7. 精神分析的療法側面の存在・・・精神分析的心理療法を行う臨床心理士のもとでインテークをしたことが在る。精神分析法心理療法は週一回の面接式診断を半年から一年にわたって行わなければ成らない。これは非常にしんどいことである。毎週決まった時間や曜日に確実に面談に行かなくてはならないのである。仕事をしている以上基本的に土曜日か日曜日にしか時間が取れない。しかし土曜日は予約が一杯で対応できないといわれる。「お役に立てないかもしれない。平日に来ることが出来るように異動したり出来ませんか」などと臨床心理士が言う。これは無理だ。たしかに仕事は人生の目的ではない。しかし生活していくためには仕事しなければならない。仕事をし治療費を捻出しなくてはならい。もうここでラポール形成が阻害された。ラポールが確実に形成されない限り話したくないことは話したくない。話したいことも話したくなくなる。抵抗があるのである。この抵抗を取り払い自分自身と向き合い自分の心にふたをしてしまっているトラウマにアクセスして話をすることが出来るようになるには、セラピストとクライエントの間に絶大な信頼関係が形成されなくてはならないのである。EMDRセッションが精神分析的心理療法と似ているのは、セラピストがクライエントに対してクライエントが何をどう感じているか、どこに問題があるかを説明してくれる点にあると思う。来談者中心療法では、クライエント自身が気づかなくてはならない。

    8. EMDRは最新治療ではない理由・・・以上1から7まで様々な心理療法的側面や睡眠との類似性について述べた。EMDRは以上のように元々存在した様々な心理療法や自身の持つ生命体としての根源的生態リズムを総合的に凝縮したものに過ぎないと思う。ただ精神分析のように長期間にわたらないわたらないというところや一度に様々な記憶やイメージを直接取り扱うと言うところはいままでに無い方法であるといえる。みなさんはどのようにお考えになるであろうか。

  • 副作用と不適用の場合と危険性について・・・まず副作用の面から考えてみたい。個体差があることを念頭において頂きたい。私の場合は交通事故に遭遇しているため、トラウマとなっている情景をセッション中に再想起することで全身の緊張感、頭部や頚部の疼痛かフラッシュバックした。翌日以降も暫く筋肉痛となってこの緊張感や頚部頭部の疼痛が残った。これを怖がってはいけない。恐怖や不安や危険と対峙する勇気が必要になってくるのである。不適用についてであるが、EMDRはクライエントにとっては非常に危険でフラッシュバックを起こさせることになる。不安や恐怖を我慢できない場合や複雑性PTSDである場合は、一度に大変に多くの不安や恐怖が噴出するので避けたほうが良いのではないか。もしそれでも行うのであれば、トラウマターゲットを細分化し、一度に問題を解決しようとせず時間をかけて行う必要があると考える。しかし精神分析法のように時間がかかることは無いであろう。ターゲットトラウマを設定しそこから記憶をつむいでいく。その展開は精神分析法や来談者中心法とは全く異なり、非常に展開が速く激しい。このスピードには誰もが当惑するであろう。またターゲットトラウマとは全く関係の無いトラウマも出現する。こうした様々な急速な展開に耐えうるだけの基礎的な体力やある程度精神的に安定し自身でコントロールできる状態で無い限りはEMDRは辛い体験となり逆にトラウマとなりかねない恐れがある。セラピストとのインテークとラポールの成功如何にかかっているといえよう。

  • EMDRと転移感情現象・・・精神分析療法を行っていると必ず問題となるのがこの転移感情の問題である。転移感情とは心理治療が進んでいくうちにクライエントがセラピストに対して自分自身の無意識に抱いていた不安な感情や恐怖心などをぶつける行為を言う。この転移行動が出ることで精神分析法は成功するかどうか成否が分かれる。しかし、この転移感情も正の転移と負の転移が生じる。正の転移が発生するとクライエントはセラピストにたいして愛情や好意を抱く。逆に負の転移はクライエントはセラピストにたいして暴言を吐いたり敵意を示すこととなる。いずれにせよ正負の転移感情が強すぎれば心理治療に障害が生じ中止せざるを得なくなる。これは精神分析療法がクライエントの覚醒している状態で行っており、面接式であることが原因である。カウンセリングであるから当然、対面しクライエントはセラピストにたいして自分自身の感情を話していく、セラピストがクラエントにたいして十分な理解を示すうちに正の転移が発生するのである。逆に十分な理解やなかなか治療が進まずクライエントが不快感を示せば負の転移が発生するのである。EMDRセッション中は精神分析療法のように対面式で行われるわけではない。また半睡眠状態でクライエントが心に浮かんでいく様々な思いや、情景を言葉にしていくためセラピストに感情をするぶつける必要はないし、セラピストに話をしているわけではないので正負いずれの転移感情も起きない。セラピストの技量を信頼できるかできないかと言うことに対して持つ感情は転移感情ではない。これはあくまでも信頼感であり、心理学用語で言えばラポールが形成されているか否かと言うことである。

  • 投資対効果・・・精神分析法心理療法は週一回の面接式診断を半年から一年にわたって行わなければ成らない。この精神分析心理療法は半年から一年にわたって行ったとしても、少し良くなったか変わらないかのいずれかである。効果的には6割ぐらいというのが実情である。健康保険を適用しているところもあるが、適用しなければ二十万円以上はかかることになるであろう。時間はかかるし、その効果もなんとも言えず、おまけに費用がかかる。確かにEMDRは万能ではない。しかしブリーフセラーピーであり精神分析法心理療法に比べれば短期間に顕著な効果は現れるし、セッションの時間設定も毎週決まった時間でなくても良い。このメリットは大きい。費用については、保険適用外であるためにそれ相当の金額が要求される。

  • 様々なプロトコルや適応修正の臨機応変さの良さ・・・トラウマターゲットをいろいろと変更することでクライエントが持つ様々な問題を一度に解決に導くことが出来る。記憶を直接扱うことで、芋づる式にトラウマが想起され解決に導かれるのである。一つの問題が解決したら次の問題へ、又次へなどと順序だてる必要は無い。
     

EMDR治療体験談

ここに書くEMDR体験談は私の体験談です。したがって私がセッションに対して如何に考え、思い効果が出ているのかを記載したものです。したがって非常に個人的見解のものであって、他の方々に同じ効果や反応が期待できるものとはいえません。誤解の無いようにお願いいたします。また一般論とは異なるものです。臨床家や当事者の方に参考になれば幸いです。

  • 2003/1/20(医師によるインテーク)
    この日初めて、クリニックの門を叩いた。このクリニックに通院するに当たり予約は必要かと思い電話で聞いてみた。不要であると言われる。これには結構驚いた。歯科でも予約が必要なのに、メンタルクリニックで必要ないというのは驚きである。決して患者が少ないということではない。実際結構込んでいた。医師の印象は結構淡々とした受け答えであったが、冷淡ではなかった。EMDRを受けたいと申し出ると快諾された。若干の心理テストを実施し、解説をしてくれた。その説明も適切であり的を得たものであった。このクリニックに来る前精神分析法を試みたと話した。

     

  • 2003/1/23(臨床心理士によるインテーク)・・・セッションを始めるに当たり、トラウマターゲットイメージの設定を行った。最も恐怖を感じる画面、イメージを想起し決定するのである。このイメージを想起したとき自分がどんな否定的感情を感じるのかをも決める。この作業が最も大切である。このイメージを始めとして芋づる式に様々なイメージを想起し、再処理していくのである。私は現状に至ったトラウマターゲットとなるイメージを事前に書き出して持って来ていた。これは結構役に立った。

     

  • 2003/1/23(第一回セラピー)・・・次のクライエントさんがこなかったので、インテーク終了後直ぐにセッション突入となった。正直心の準備が出来ていなかったので困ったが、まあ折角のことなのでお願いすることにした。私のトラウマターゲットイメージは交通事故の衝突シーンである。
    ※トラウマターゲットイメージ「自分の乗っている車がスピンして中央分離帯へとぶつかっていく。そうして車内で私が振り回され、左側頭部を車内ドアトリムで強打して目の前が真っ白になった状態。そして頭部頚部に激痛が走る。」

    TH:この状況をイメージして何を感じますか。
    このイメージを想起したとたんに、頚部や頭部に緊張が走り痛みが再燃した。痛みのために体をくねらせ痛みに耐えようとする自分がそこにいた。EMDRの恐ろしさと、その効果の現れ方に驚愕した。事故現場での匂い、自分の取った行動が芋づる式に浮かんでくる。人によっては走馬灯のようにとか、写真のように浮かぶらしい。私の場合は、写真的なイメージとしても浮かぶには浮かんでくるが、それよりも言動として口をついてそのときの感情が想起されてきた。加害者に対する感情が沸々とわきあがってきた。
    TH:感情を声に出して思いっきりぶつけなさい。
    CL:「てめえ痛てーじゃねーか。何でスピードなんて出すんだよー。バッカヤロー。ふざけんじゃねーぞ。」

  • 2003/1/28(第二回セラピー)事故現場での匂い怒りの再燃。

  • 2003/1/31(第三回セラピー)頚部や頭部に緊張が走り痛みが再燃しもがき苦しむ。

  • 2003/2/8(第四回セラピー)言いしれない不安と恐怖に包まれる。

  • 2003/2/14(第五回セラピー)朝薬を飲まずにいたので気分が悪かったのか、何だか憂鬱だった。

  • 2003/2/22(第六回セラピー)EMDRを終了する。劇的な変化はなかったが症状は軽減された。

  • 2003/1/28(第七回セラピー)ブリージングによる治療。事故現場での匂い怒りの再燃。

  • 2003/1/28(第八回セラピー)ヒプノセラピーの実施。ヒプノセラピーというと一部嫌悪感を催すクライアントもいるが、それは巷間で催される催眠showを想起するからだ。実際は訓練を積んだ臨床医が実施する。私の場合、反動もあったが、経年苦しんだパニック小発作や抑うつ感、倦怠感が雲散霧消した。今までの治療は何だったんだろうかと思った。

 

 

 

 

bottom of page