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第十一章 加害者について

●第十一章 加害者について

 

 入院してるのに見舞いにも来ないため、加害者(友人)には激怒した。
退院後「なぜ来なかったんだ。」と電話で問い詰めると「何怒ってるの?」と言う返事を返された。
「行こうと思ったよ、でも退院したってきいた」との回答。
私は、入院中に彼の実家に電話をし、電話には彼の父親が出た。
よって入院中であることは、周知のこと。必ず聞き、知っているはずであるにもかかわらず来ない。
加害者である前に友人であるがゆえに、聞いたら直ぐに来るのが当然の行為ではないか。
過失にせよ故意にせよ、人に怪我させておいて、見舞いにも来ないなど全く言語道断である。
加害者の父親も親で、「すいませんね。怪我させまして」と電話で言っていた。
普通はこう言いませんか、
「この度は私の息子が、あなた様に多大なるご迷惑を御掛けいたしました。何を言われてもかまいません。当方に全ての落ち度があります。直ぐにお見舞いに伺わせます。本当に申し訳ございませんでした」。
この親にしてこの子ありだ。開いた口がふさがらない。

そうは言いつつも、彼は後日菓子折りと、治療費にしてくれということで現金を持ってきてくれた。
平謝りに謝る、彼の姿を見、蹴るなど殴るなど自由にしろと言う彼の言葉を聞き、「済んだことは、もういいと」諦めの境地に達した自分がそこにいた。

事故から一年経った時でも、「その後経過はどうですか?」の電話さえ無かった。
こちらから「どうゆうつもりだ?」とかつて手紙を出したところ、こういう返事が返ってきた。
「最近仕事に集中出来ず、胃腸の調子も悪いです。あなたの口調のせいです。暫く会いたくないです。」
加害者に加害者呼ばわりされてしまった。
矢張り自分のやった事の重大さに気づいてないとしか言いようがない。
別の友人の中には、加害者の肩を持つものもいた。
そんなことはする必要性は全くない。何も悪いことをしていない人間が地獄に落とされるような思いをさせられ加害者扱いさせられる。こんな不条理が許されてなるものか。悪は必ず滅び正しいものが勝つ。

 加害者に対する憤りをためることが、PTSDを惹起する可能性もある。
しかし、加害者である友人は一体全体どういう神経をしているのか不思議でならない。
でも、もう気にしないことにした。考えるだけ馬鹿馬鹿しい。そんなところにエネルギーを消費したくない。
いつまでも悪い思い出に拘泥していると、良くない。
これは病気についてのみ言える事では無く、日常生活でも言える事。
みなさんはどう思いますか。普通は怨み骨髄でしょうが、今は彼に対して、うらみつらみは特に無い。どうしてなのでしょうか。
私も少しは大人になったのだろうか。

しかし年初の挨拶は、もうしていない。またもう決して会いたくない。
かつて偶然に、自分の車で走行中に彼を見かけた。彼も自分の車を運転していた。そうあの凶器を。
思わず知らず戦慄を憶えた。フラッシュバックである。言い知れぬ恐怖が全身を襲った。
ハンドルを持つ手が震えた。心の中で「怖い!」と叫んだ。
ほんの一瞬であったにもかかわらず、認識できたのはなぜであろう。
関連する事項に極端に敏感になっているのは、矢張りPTSDであるが所以であろう。

もういい。もう気にしない。考えるだけ馬鹿馬鹿しい。そんなところにエネルギーを消費したくない。
いつまでも悪い思い出に拘泥していると、良くない。
苦しい過去よさようなら。新しい自分よ未来よこんにちは。

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